January 28, 2009
ソダーバーグ45歳に、別れの手紙
「チェ 28歳の革命」を見た。
スティーヴン・ソダーバーグというあまり信用ならない監督のため、なかなか手が出なかったんだけど、ニッポニアニッポン(MXテレビ)に煽られ、乗せられ、ついつい鑑賞。して、大失敗。やっぱり駄目だ、この監督。ベニチオ・デル・トロは好きだけど。
この監督の、カンヌを獲った「セックスと嘘とビデオテープ」もつまらなかったし、「トラフィック」や「オーシャンズ11」もそれなりにいいけど物足りない。ブルッと来ない。映画の核となる部分が決定的に欠けているんじゃないか、と思う。
核とはつまり、簡単に言えば「何を描くか」ということだ。それは主人公の生き様とか、巧妙なサスペンスとか、お下劣な笑いとか。なんでもいいんだけど、これがはっきりしてないから映画がボヤけてしまう。また、作り手の意識としては、核とは「情熱」である。金や人間関係や世間体なんかのやりくりを度外視しても絶対に撮らなきゃならん、という情熱である。
そういった核がないと、映画は必ず失敗する。
構成があっちこっちに散らばって、まとまりがつかなくなる。これは多面的とか重層的とか、そういうことでは全然ない。「チェ 28歳の革命」ではそれが顕著だ。ちょこちょこ約10年後のインタビューと国連での演説の映像を挟んでいるが、一体なんの意味があるというのか。
これは、ソダーバーグが迷ってるという証だ。チェ・ゲバラの革命までの道のりを追うのか、チェの人間性を追うのか、それとも社会的な側面を示すのか、決まってないから半端なことをしてしまう。あちこち行くなら、相互に影響し合って映画に深みを増していくように構成しなくてはいけない。
「トラフィック」でもそうだった。あちゃこちゃ色んな立場の人間を描いているが、いまいち相乗効果として迫ってこない。十分だと思う人は、「マグノリア」を見てないんじゃなかろうか。「ブギーナイツ」を見てないんじゃなかろうか。これが本当に影響し合ってテーマに深みを増す構成である。
というわけで、宣伝に踊らせれて見てしまいそうになってるアナタ。おやめなさい。ゲバラについて知りたかったら、本を読んだり、ドキュメンタリー映像を見たりすればいい。そして私はもちろん「チェ 39歳 別れの手紙」も見ない。ソダーバーグよ、サヨナラサヨナラサヨナラ……
モーターサイクル・ダイアリーズ
革命はじめる前のチェ・ゲバラ。
こっちの映画の方が、はるかにいい。
この監督の、カンヌを獲った「セックスと嘘とビデオテープ」もつまらなかったし、「トラフィック」や「オーシャンズ11」もそれなりにいいけど物足りない。ブルッと来ない。映画の核となる部分が決定的に欠けているんじゃないか、と思う。
核とはつまり、簡単に言えば「何を描くか」ということだ。それは主人公の生き様とか、巧妙なサスペンスとか、お下劣な笑いとか。なんでもいいんだけど、これがはっきりしてないから映画がボヤけてしまう。また、作り手の意識としては、核とは「情熱」である。金や人間関係や世間体なんかのやりくりを度外視しても絶対に撮らなきゃならん、という情熱である。
そういった核がないと、映画は必ず失敗する。
構成があっちこっちに散らばって、まとまりがつかなくなる。これは多面的とか重層的とか、そういうことでは全然ない。「チェ 28歳の革命」ではそれが顕著だ。ちょこちょこ約10年後のインタビューと国連での演説の映像を挟んでいるが、一体なんの意味があるというのか。
これは、ソダーバーグが迷ってるという証だ。チェ・ゲバラの革命までの道のりを追うのか、チェの人間性を追うのか、それとも社会的な側面を示すのか、決まってないから半端なことをしてしまう。あちこち行くなら、相互に影響し合って映画に深みを増していくように構成しなくてはいけない。
「トラフィック」でもそうだった。あちゃこちゃ色んな立場の人間を描いているが、いまいち相乗効果として迫ってこない。十分だと思う人は、「マグノリア」を見てないんじゃなかろうか。「ブギーナイツ」を見てないんじゃなかろうか。これが本当に影響し合ってテーマに深みを増す構成である。
というわけで、宣伝に踊らせれて見てしまいそうになってるアナタ。おやめなさい。ゲバラについて知りたかったら、本を読んだり、ドキュメンタリー映像を見たりすればいい。そして私はもちろん「チェ 39歳 別れの手紙」も見ない。ソダーバーグよ、サヨナラサヨナラサヨナラ……
モーターサイクル・ダイアリーズ
革命はじめる前のチェ・ゲバラ。
こっちの映画の方が、はるかにいい。
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